皆様、こんにちは。谷です。
昨日の晴天とはうってかわり、曇り空ですね。
皆様は昨日の星々をご覧になられましたか?A.ランゲ&ゾーネブティック大阪心斎橋のある、大阪市内ではあいにくの曇りで見ることが出来ませんでした。
次はいつ晴れの日の七夕がやってくるのでしょうか?楽しみですね!!
さて、今回はA.ランゲ&ゾーネの設立者フェルディナンド・アドルフ・ランゲについての第17弾をご案内します。
(当シリーズはラインハルト・マイス氏が語った内容の資料をもとにお伝えしています。)
アドルフランゲの出生や学生生活などについてはそれぞれの章をご覧ください。
①ランゲの生みの親『アドルフ・ランゲ』の生い立ちと幼少期
②ランゲ少年、時計師への道のり
③ランゲ青年、時計製造国フランスに行く
④‐⑫旅の手帳の中身とは?(Page4-Page39まで)
あらすじ
1815年2月18日に、ドレスデンにてアドルフ・ランゲは生まれる。
両親が離婚した後、ランゲ少年は知り合いの商家に引き取られて育ちます。育ての親のおかげで、ドレスデン技術学校に通わせたもらった彼はハイレベルな時計の知識を身に着けます。
1830年からは学生をしながらグートケスの弟子として実践トレーニングを積み、1835年、彼は当時時計大国であるフランスに旅をします。
旅に出る前に師匠グートケスにもらった手帳には、メッセージがかかれており「祖国を忘れることなかれ」から始まるメッセージがあります。現在も手帳は本社にて保管され、時計製作の際には必ず目を通しているようです。
では、『旅の手帳』に書かれていた事とは?今回40-41ぺージの内容を記載していきます。
Page40‐41
Page40の図は、Page38-39の図表の続きです。
155-200までの歯を持つ歯車の結果が記されています。
時計のムーブメントはバーとロビンエスケープメントが別々になったものもあります。
41ページに記載されている3つムーブメントのうち左側にあるものは、元のレピンキャリバーです。
それらはブリッジとバーで構成されています。
1番上のムーブメントにはラテラルレバーウォッチがあります。
1番上の右はガンギ車と文字盤下から見たものをランゲが描いたのです。
4番車と3番車は同じブリッジの下を通っていることがわかります。
後に、ランゲは自身が製作する時計をつくる際に何度もこのレイアウトを使っています。
吊りバレルの歯数は鉛筆で記されています。
右下:他の書物(文学)にも記載されていたロビンエスケープメント。
パレットレバーがある事で、ガンギ車の動きが解放されます。
しかし衝撃は戻り止めエスケープメントに与えられるのと同じように、バランスアーバーの指に与えられます。
真ん中のムーブメントは、ロビン脱進機が取り付けられており、ガンギ車が天秤を動かす様子がはっきりとわかります。
更にその左側にはアンクルが描かれています。
ロビンはリリースパレットレバーと切り離したムーブメントでした。ガンギ車はバランスに対して衝撃を直接的に与えました。
J.H.Marensによって、1857年に自身が出版した本に構造が描かれています。
まとめ
いかがでしたか?
旅の手帳の特徴を最初のページ紹介したように、説明文やそれぞれの部品の特徴などは文字として記載されておらず、ほとんど図形や表でした。
自身の言葉で説明するよりも図形やパーツの位置でその部品の特徴や役割、特性などを知りたかったのでしょうか?
どちらにしても、これだけの時計のパーツの図が残っていることが本当にすごいことだと感じます。
是非、店頭でA.ランゲ&ゾーネの世界観を感じてみてください。