皆様、こんにちは。谷です。
段々と葉っぱの色づきも変わってゆき、秋の紅葉シーズンが訪れようとしております。
皆様は今年紅葉を見に行く予定などございますか?
さて、今回はA.ランゲ&ゾーネの設立者フェルディナンド・アドルフ・ランゲについての第35弾をご案内します。
(当シリーズはラインハルト・マイス氏が語った内容の資料をもとにお伝えしています。)
アドルフランゲの出生や学生生活などについてはそれぞれの章をご覧ください。
①ランゲの生みの親『アドルフ・ランゲ』の生い立ちと幼少期
②ランゲ少年、時計師への道のり
③ランゲ青年、時計製造国フランスに行く
④‐㉖旅の手帳の中身とは?(Page4-Page65まで)
㉗~諸外国を回った後のランゲの人生
ランゲが特許を取得したアルミ製ヒゲゼンマイとは?
1820年,ジャック・フレディック・アリエ(スイスのクロノメータ製作者)が耐磁性を持ったクロノメーターをW・エド・パリー率いるイギリス北極探検隊のために開発しました。
ゼンマイと軸を除くすべての素材は非鉄でした。
同様の開発を行い、ランゲは1872年にアルミニウム合金で時計のパーツやヒゲゼンマイを作り、アメリカの特許(No139672,June,10)を取得しました。
デヴィル(参考書:buch der erfindungen,gewerbe und industrieより)電気を精錬(金属から目的の物質以外の不純物を取り除くこと)することによって、かなりの量のアルミニュウムを生産することに成功したのが1853年になってからであることを考えるとランゲは間違いなく、ヒゲゼンマイ用のアルミニュウム合金を実験した最初の1人でもあります。
その目的は時計が磁場の近くでの科学的測定のためでした(1867年から発電機、1879年からは電気機関車)
彼の特許申請書によると、彼はアルミニウムのうち9%は銅を含むアルミニュウム合金を採用し、5%はゴールドと銅、または10%のアルミニュウムと90%の銅を用いていました。
合金は、耐食性(錆びるのを防止)、耐磁性、伸縮性、硬くなることや割れにくくなるためでした。
ランゲは、ニッケルスチールのバネを使用したペルレ(アブラハム・ルイ・ペルレ(時計師:1729-1826)1770年から自動巻き機構を開発。残念ながら巻き上がらなかった。)の実験、パイヤール(1886)によるパラジウム製のゼンマイの実験、C.カペラ―の1890年の研究よりもはるかに先の実験をおこなっていました。
1871年に、A.ランゲ&ゾーネはムーブメントNo,10737-10739にはアルミニウム製のレギュレーターが搭載されていることを記載してます。この説明によりのちにムーブメントにも搭載されるようになりました。とりわけ、これらのムーブメントはライブリッヒにあるL.Döringによって販売されました。
パレットレバーとテン輪が銅アルミニウムで作成されました。ランゲは素材が金より軽く、磁気に強いものを探しました。
しかしながら、彼は広範囲にわたる突破口を見出すことはできませんでした。
また、アルミニウム製ヒゲゼンマイは、パラジウムが優れた材料であることが証明されたため、さらに追求されませんでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
残念ながらアルミ製のパーツは他のパーツ素材として活用することは叶わずとなりましたが、追求する心や一部のパーツではありましたが活用できた時の喜びは大きかったと思います。
次回もランゲが取得した特許について紹介していきます。