皆様、こんにちは。谷です。
先日、三重県のVISONに日帰りで遊びに行ってきました。
三重県が総力を挙げて創った『食べて』『遊んで』『泊まって』の施設はとっても楽しかったです!
もし伊勢などに遊びに行く際はついでに訪ねてみてくださいね!ちなみに伊勢から車で20分ほどで到着します♪
さて、今回はA.ランゲ&ゾーネの設立者フェルディナンド・アドルフ・ランゲについての第33弾をご案内します。
(当シリーズはラインハルト・マイス氏が語った内容の資料をもとにお伝えしています。)
アドルフランゲの出生や学生生活などについてはそれぞれの章をご覧ください。
①ランゲの生みの親『アドルフ・ランゲ』の生い立ちと幼少期
②ランゲ少年、時計師への道のり
③ランゲ青年、時計製造国フランスに行く
④‐㉖旅の手帳の中身とは?(Page4-Page65まで)
㉗~諸外国を回った後のランゲの人生
ランゲのジャンピングセコンド
ランゲによると小さなジャンピングセコンド(秒針)は明確でなく、満足するものではありませんでした。
したがって彼は異なる方向性をもつ研究を始めました。
1867年に、彼は毎秒ごとに針が飛ぶ独立したセンター秒針機構を開発しました。
また、止めるこはできても、『0』になる際に瞬時に針が戻る『フライ バック』機構はついていませんでした。
ヒューバーの台帳にはそのようなムーブメントを持つ時計が3つ書かれていました(No,5010,5432、11371)
これらの時計が実際に販売されたのかどうかわかりません。(完全な時計が市場に登場後、11000シリーズの全ての時計はこの初期の方法に従って製造された可能性がある為)
しかしながらここで注意すべきことは、アドルフ・ランゲのシステムはNo182としてA.ランゲ&ゾーネの代理として彼の息子が特許を申請しています。
形式は変わっていますが、4分の3プレートの上に秒針の機構がついています。
その機構については、特許文献からの抜粋で説明します。
特許文献から読み取る『ジャンピングセコンド』とは?
上の図面は、その拡大上面図を表しています。
本発明に関連する部分に特に重点を置いたムーブメントです。
大きな車輪bは、三番車の厚い軸受けaに緩めに取り付けられ、軸受けの上部に摩擦がからないようにスチールリングcによって保持されています。
リングは小さなのこぎりの歯(鋸歯状)の金の歯車dで固定されており、三番車のかなと一緒に回転します。
ホイールbにねじ込まれた2つのバネeとe2によって秒機構はムーブメントと繋がります。
これらのバネは先端に宝石がついているfとf2は金のホイールdの歯と噛み合います。
大きな車輪bは、中かなを通過する12の歯をもつピニオンgと噛み合います。
ピニオンgは、小さな7つの歯を持つ歯車hと同じ軸上にあります。その歯車kは、1秒に1回転する6つの歯を持つピニオンlによって動かされます。
センターセコンド針が正確に1秒刻みでジャンプができるようにするため、小さなレバーがピニオンlに固定されており、その一端がガンギ車の軸n上に配置された6つの歯のスターホイールoと噛み合っています。
スターが通過すると、ピニオンlと繋がっているレバーmが停止します。そうすると四番車も停止し、1秒がすぎた後にのみレバーを解放します。
その後、レバーは自身が持つ長い先端がスターホイールの次の歯に引っかかるまで回転を続けます。
次の1秒の終わりにレバーがもう一度離され次の回転が行われます。
秒機構が停止した場合、スタッド係合が取付られたレバーr、レバーm、輪列のピニオンブリッジqが停止し、スプリングeとe2はfとf2と共に金の歯車cに落ちます。
この『秒針』は、天文台と同様の表示を備えた精密時計でした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
お時計の機構が好きな人にはたまらない開発までのお話や動きがわかるストーリーでしたね!
次回はクロノグラフについて、お伝えしていきます!
アドルフ・ランゲについての説明も残りわずかとなりました。
ですが引き続き懐中時計などをもちいて現在に通ずつA.ランゲ&ゾーネの魅力をお伝えしていきます!