皆様、こんにちは。谷です。
10月に入り、ここから年末に向けてはより一層早く時間が流れていきますが、今年達成する目標の軸だけはぶれない様にラストスパートまで頑張りましょう!私も来年受験予定の資格と試験に向けて今年の目標数値をクリアできるように頑張ります!
さて、今回もA.ランゲ&ゾーネを立ち上げた、フェルディナンド・アドルフ・ランゲがスイスやフランスで修業した時に学んだことを書いた手帳の54-55ページを解説していきます。
A.ランゲ&ゾーネの設立者フェルディナンド・アドルフ・ランゲについての第23弾をご案内します。
(当シリーズはラインハルト・マイス氏が語った内容の資料をもとにお伝えしています。)
アドルフランゲの出生や学生生活などについてはそれぞれの章をご覧ください。
①ランゲの生みの親『アドルフ・ランゲ』の生い立ちと幼少期
②ランゲ少年、時計師への道のり
③ランゲ青年、時計製造国フランスに行く
④‐㉒旅の手帳の中身とは?(Page4-Page53まで)
あらすじ
1815年2月18日に、ドレスデンにてアドルフ・ランゲは生まれる。
両親が離婚した後、ランゲ少年は知り合いの商家に引き取られて育ちます。育ての親のおかげで、ドレスデン技術学校に通わせたもらった彼はハイレベルな時計の知識を身に着けます。
1830年からは学生をしながらグートケスの弟子として実践トレーニングを積み、1835年、彼は当時時計大国であるフランスに旅をします。
旅に出る前に師匠グートケスにもらった手帳には、メッセージがかかれており「祖国を忘れることなかれ」から始まるメッセージがあります。現在も手帳は本社にて保管され、時計製作の際には必ず目を通しているようです。
では、『旅の手帳』に書かれていた事とは?今回54-55ぺージの内容を記載していきます。
Page54-55
ランゲはフランス・パリでたくさんのブレゲの時計を見ることが出来ました。
彼はブレゲの懐中時計No.4321を2つの角度から描写しています。1つはエスケープメントレバー、もう一つはバランスをそれぞれ個別の図面で書いています。
ページの右下にはブレゲのSouscriptionトレインウォッチのスケッチがご覧いただけます。
特徴的ブリッジの構成と中央に取り付けられたバレルが見て取れます。ゴーイングトレインの歯数もまた記載されています。
ブレゲNo.4321
2つの開口部絵を備えたエンジン回転シルバーケース。
一つは日付調整、もう一つは分針の調整用です。ゴールドの針、金鍵ムーブメント、パラシュート、ショックアブフーバー、補助のバランスが特徴。ケース径は37㎜
(ランゲの左上のスケッチと写真の左側が全く同じです)
まとめ
いかがでしたか?
ブレゲの懐中時計は以前も出てきましたが、これほどまでに時計の発達や発展を速めたブランドはないですよね。
そんな時計をランゲがまだ若くして手に取り、見て、学ぶことが出来たと考えるととてもいい時代ですよね!今ではできない時計の使い方ですね(笑)
ランゲの復興ではギュンターブリュームライン氏が、フェルディナンド・アドルフ・ランゲが修業時代はブレゲの時計が…。
1つの時計というものではありますが、ブランドの垣根を超えて時計の機構や作り、美しさなどを追求していたと思うと時計の時間を計測するという実利的なポイントだけでなく、ロマンも感じますね!
では次回もお楽しみに!次回は56-57ページをご案内いたします。