皆様、こんにちは。谷です。
皆様は通勤時、電車やバスの中でどのように過ごしていますか?
私はオンライン新聞を読みながら過ごすことが多いです。ニュースなどではなく、各新聞会社の文筆家の方々が書くコラムが好きです。
先日は学校では教えてくれない『万葉集』について書かれた記事を読んでクスッと笑ってしまいました。
万葉集って私たちが思っている解り難くて難しい『和歌』ばかりじゃないんですね…。短文でありながら当時の人たちのクレージーさ(狂気的な何か)を感じるのが『和歌』でした。(笑)
さて、今回はA.ランゲ&ゾーネを代表する機構であり、現在のA.ランゲ&ゾーネが1992年に最初に特許を取得した『アウトサイズデイト』についてお伝えしていきます。
『アウトサイズデイト』って、どうして作られたの?
『アウトサイズデイト』の機構の原型となる表示方法(窓枠ごとに独立して動くシステム)についてはA.ランゲ&ゾーネができる前。つまり、1845年以前にさかのぼります。
A.ランゲ&ゾーネの創設者でもあるフェルディナンド・アドルフ・ランゲはA.ランゲ&ゾーネを創立するまでは、現在のドイツ・ザクセン州の領域とほぼ同じサイズと言われるザクセン王国の首都ドレスデンにいました。
彼はドレスデンにて、師匠グートケスの下で修業を積んだ後、フランスやスイスなどの諸外国に行き時計の勉強をしました。
そして数年間勉強したのちに戻ってきてからは再び師匠グートケスのもとで働いたのです。
その時にグートケスと共同で作成したのがゼンパー歌劇場にある『5分時計』です。
『5分時計』は1841年に製作されました。ランゲがA.ランゲ&ゾーネを立ち上げる4年前のことでした。
どうして5分時計をつくるようにザクセン王はグートケスに命令したのか?
『5分時計』が製作された背景には当時のザクセンの王の趣味や考えがありました。
当時のザクセン3代目の国王であったフリードリヒ・アウグスト2世(ザクセン王)は、ドレスデンを華やかな都として発展させ、ザクセンが繁栄した時代の有名な君主として現在も高く評価されています。
ザクセン王は様々な生産活動(手工業や商業)を優遇する政策や道路の建設に力を入れますが、その結果として、ザクセンの産業や経済は著しく発展します。(この取り組みの一つがフェルディナンド・アドルフ・ランゲが取り組んだグラスヒュッテの町おこしとして、時計工房を建てたことです。)
さらに、建築を愛する王は、歳入が増えるとそれを資金にしてドレスデンの町をルネサンス様式からバロック様式に様変わりさせます。
優れた建築家を呼び寄せ、華麗なバロック様式のツヴィンガー宮殿(Zwinger)、東洋風のピルニッツ宮殿(Pillnitz)といった美しい建造物を造営し、庭園や館から市民の住居まで幅広く街を改革していき、火災による被害を受けていたドレスデン旧市街は新しく再建。
現在も「ドイツ・バロックの真珠」とうたわれる美しいドレスデンの街並みはこの頃にほぼ完成したといわれています。
こうしてザクセン王はザクセンを強国へと押し上げていきました。
またザクセン王は豪奢を好み、しばしば口実を見つけてはパーティを開いていたといわれるほどお祭り好きでした。ヴェネツィア・スタイルの華やかな宮廷舞踏会を開くことでも有名だったと言われています。
そんなザクセン王が宮廷の時計技師であるグートケス、その弟子であるフェルディナンド・アドルフ・ランゲに命じたのが「時計の機械音を一切邪魔されずに歌劇を鑑賞できるようにと、可能な限り静かでどの席からも読み取れる歌劇用時計の開発する事」でした。
グートケスはランゲと共に、ひとつの窓に分を5分刻みで表示する、いわばデジタル表示のモデルを製作しました。
それが、『5分時計』です。
『アウトサイズデイト』はこの5分時計からインスピレーションを得て開発され、1994年に発表されたランゲ1に初めて搭載されました。『アウトサイズデイト』と非凡なダイヤルを持つランゲ1が世に出たことによって、何十年もドイツの東西分裂の時代を経て、再びA.ランゲ&ゾーネの名に恥じない優れた時計を作るという、創始者の曾孫ウォルター・ランゲの夢が叶ったのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は『アウトサイズデイト』ができた時代背景を紹介しました。
宮廷の時計技師であるグートケスがいることや、当時のザクセン王が芸術好きでなければ作成すらされることのない時計だったという事です。
そう考えると『アウトサイズデイト』も、もしかすると製作することがなかったかもしれませんね。
是非、店頭でドイツザクセンの歴史を感じるのはいかがでしょうか?
皆様のご来店をスタッフ一同心よりお待ちいたしております。