皆様、こんにちは。谷です。
近畿圏にも台風が近づいております。皆様、まずは身の安全を確保することを意識してお過ごしください。
そして、本日9月18日はoomiya鹿児島店、台風の影響のため臨時休業を行っております。
台風は日本列島を横断予定でありますので、皆様お気をつけてお過ごし下さませ。
さて、今回もA.ランゲ&ゾーネを立ち上げた、フェルディナンド・アドルフ・ランゲがスイスやフランスで修業した時に学んだことを書いた手帳の52-53ページを解説していきます。
A.ランゲ&ゾーネの設立者フェルディナンド・アドルフ・ランゲについての第22弾をご案内します。
(当シリーズはラインハルト・マイス氏が語った内容の資料をもとにお伝えしています。)
アドルフランゲの出生や学生生活などについてはそれぞれの章をご覧ください。
①ランゲの生みの親『アドルフ・ランゲ』の生い立ちと幼少期
②ランゲ少年、時計師への道のり
③ランゲ青年、時計製造国フランスに行く
④‐⑫旅の手帳の中身とは?(Page4-Page51まで)
あらすじ
1815年2月18日に、ドレスデンにてアドルフ・ランゲは生まれる。
両親が離婚した後、ランゲ少年は知り合いの商家に引き取られて育ちます。育ての親のおかげで、ドレスデン技術学校に通わせたもらった彼はハイレベルな時計の知識を身に着けます。
1830年からは学生をしながらグートケスの弟子として実践トレーニングを積み、1835年、彼は当時時計大国であるフランスに旅をします。
旅に出る前に師匠グートケスにもらった手帳には、メッセージがかかれており「祖国を忘れることなかれ」から始まるメッセージがあります。現在も手帳は本社にて保管され、時計製作の際には必ず目を通しているようです。
では、『旅の手帳』に書かれていた事とは?今回52-53ぺージの内容を記載していきます。
Page52-53
パーペチュアルカレンダーも稼働する際の一段毎の動きをランゲは自ら発案したと思われます。
1800年ごろにマインツのヨハンによって完成された可能性があり、説明されたカレンダー操作のいくつかの段階の1つとなります。
ランゲはこれらの時計の1つを見たに違いありません。
恐らく、パリでヨハン氏と会った際に今後の参考に主な動きを書き留めたと思われます。
ヨハン・ニコラス・アレクシス
ドイツとオーストリアの聖職者。1781年からはマインツ高等学校の先生。
しかし主に硬度ん天文時計に従事していた。
この4年のカムはリープイヤーの2月29日を含め4年周期で月の長さを決定します。
これは、ニコラス・アレクシス・ヨハンによって製作されたテーブルクロックに搭載されています。
テーブル・クロック
ブロンズの柱、装飾、ガラスベゼルを施したチェリーウッドの置時計。
ローマ数字、エナメル製ダイヤル、中央から時針が表示されます。
永久カレンダーの日付(10時位置)、月(2時位置)、および6時位置にの曜日用サブダイヤルがあります。
文字盤には署名:ニコラス・アレクシス・ヨハン・マインツと書かれています。
ストライクと高品質のムーブメントの両方がケース内の重りによって駆動されますが、この時計は壁掛け時計として作られたものではないのです。また、ナイフエッジのサスペンションの振り子がついています。
まとめ
いかがでしたか?
アドルフ・ランゲは様々なものを見て学び、そして自身で新しいものを開発しようとしていたんですね。
今までの旅の手帳シリーズでもそうでしたが、アドルフ・ランゲの知的好奇心は本当にすごいです。
パソコンやテレビなどがない事はもちろん、実際に学ぶためには国を超えて足を運び学ぶことが必要だったと思うと、
現代や先人たちが残してくれた本などのありがたみをひしひしと感じます。
次回は、54ぺージからご紹介していきますので、お楽しみに!!