皆様、こんにちは。谷です。
少しずつ気温も落ち着いてきましたが、まだまだ30度を超える日が続いています。
偏頭痛や室内外の温度差による体調不良には気を付けてお過ごしください。
さて、今回もA.ランゲ&ゾーネを立ち上げた、フェルディナンド・アドルフ・ランゲがスイスやフランスで修業した時に学んだことを書いた手帳の47ページから49ページを解説していきます。
A.ランゲ&ゾーネの設立者フェルディナンド・アドルフ・ランゲについての第20弾をご案内します。
(当シリーズはラインハルト・マイス氏が語った内容の資料をもとにお伝えしています。)
アドルフランゲの出生や学生生活などについてはそれぞれの章をご覧ください。
①ランゲの生みの親『アドルフ・ランゲ』の生い立ちと幼少期
②ランゲ少年、時計師への道のり
③ランゲ青年、時計製造国フランスに行く
④‐⑫旅の手帳の中身とは?(Page4-Page45まで)
あらすじ
1815年2月18日に、ドレスデンにてアドルフ・ランゲは生まれる。
両親が離婚した後、ランゲ少年は知り合いの商家に引き取られて育ちます。育ての親のおかげで、ドレスデン技術学校に通わせたもらった彼はハイレベルな時計の知識を身に着けます。
1830年からは学生をしながらグートケスの弟子として実践トレーニングを積み、1835年、彼は当時時計大国であるフランスに旅をします。
旅に出る前に師匠グートケスにもらった手帳には、メッセージがかかれており「祖国を忘れることなかれ」から始まるメッセージがあります。現在も手帳は本社にて保管され、時計製作の際には必ず目を通しているようです。
では、『旅の手帳』に書かれていた事とは?今回46-49ぺージの内容を記載していきます。
Page46-47
アラーム付きのトラベル時計の輪郭しか残っていないものになります。
左側の歯車のレイアウトと右側が鳴り物の流れです。
Page48-49
2つのゴングを鳴らすチャイムとリピーター付きの円型懐中時計です。
右側:中央、警告ホイール、クォーターラック、アワーラック、リリースホイールを備えた「タワー」は個々のパーツから成り立っています。
下には、星が付いたクォーターカムがあり、15分ごとに放出されます。
ストライクとサイレント、およびグランド又はスモールストライクのレバーはムーブメントの端まで伸びています。
17世紀には、ロックプレートのストライキング機構を備えた時計が知られてました。
次の段階として時間と30分ごとに音を鳴らすためのゴングを打つことのラック導入でした。
必要なメカニズムの複雑さの為にリピーターを通過する選択可能なグランド又はスモールストライクの開発は19世紀初頭にしかできませんでした。
天板の上に天秤をのせた列車配置は英国式ムーブメントを彷彿させます。
まとめ
ついに20話まで到達しました。
まだまだ旅の手帳について、マイス氏の解説の元、説明が続きます。
マイス氏の解説を読めば読むほど今から130年以上も前の話とは思うことが出来ないほど詳しく時計について書かれています。
アドルフ・ランゲについては様々な時計にまつわる話がありますが、それだけの情熱を時計に若き頃から注ぎ込んでいたと思うと、すごいですよね。
まだしばらく旅の手帳についての説明にはなりますが、終わりましたらいよいよアドルフ・ランゲが行動に出ます。
是非、皆様楽しみにしていてくださいね!!