皆様、こんにちは。谷です。
桜が春の訪れを知らせてくれたと思ったら、気温がもう20度まで上がって、夏のような日がそろそろきそうですね!
気温が急に変わり、体調も崩しやすい時期です。皆様もお身体に気をつけてお過ごしください。
さて、今回はA.ランゲ&ゾーネの設立者フェルディナンド・アドルフ・ランゲについての第10弾をご案内します。
(当シリーズはラインハルト・マイス氏が語った内容の資料をもとにお伝えしています。)
アドルフランゲの出生や学生生活などについてはそれぞれの章をご覧ください。
①ランゲの生みの親『アドルフ・ランゲ』の生い立ちと幼少期
②ランゲ少年、時計師への道のり
③ランゲ青年、時計製造国フランスに行く
④‐⑧旅の手帳の中身とは?(Page4-Page21まで)
あらすじ
1815年2月18日に、ドレスデンにてアドルフ・ランゲは生まれる。
両親が離婚した後、ランゲ少年は知り合いの商家に引き取られて育ちます。育ての親のおかげで、ドレスデン技術学校に通わせたもらった彼はハイレベルな時計への知識を身に着けます。
1830年からは学生をしながらグートケスの弟子として実践トレーニングを積み、1835年、彼は当時時計大国であるフランスに旅をします。
旅に出る前に師匠グートケスにもらった手帳には、メッセージがかかれており「祖国を忘れることなかれ」から始まるメッセージがあります。現在も手帳は本社にて保管され、時計製作の際には必ず目を通しているようです。
では、『旅の手帳』に書かれていた事とは?今回は22-25ぺージの内容を記載していきます。
Page22-25の内容
Page23
ランゲはおそらくパリでマイクロメーターゲージの原理に最初に精通した人物です。彼はパリでその機構のスケッチをしています。
キャリバーが同じ距離間(間隔)で開く必要があり、インジゲーターが1つの軸で同等の角度を示す必要がある場合、キャリバーの接触点の曲線はインジゲーターが周りにある点によってできる曲線と同じであるという必要性があります。
クオーターリピーターウォッチ(懐中時計)は、ペンダントを引っ張ると音が鳴る仕組みです。
懐中時計に施された技術的特徴を正確に再現した様子は、ランゲがそれを作ったことに間違いないことを示しています。
Page25
これはランゲが所有してた別のクオーターリピーターの懐中時計となります。
この懐中時計は、ブレゲのNo.435です。その特徴的なメカニズムを研究するために彼はおそらくその懐中時計を部分的に解体しなければならなかったのでしょう。
ヴィリアミーによるクオーターリピーター懐中時計はほぼ同じリピーター構造となっています。
これは、パリのブレゲがスイスから、一部が空になっているムーブメントを入手したという結論に繋がります。
当時、スイスでは特に複雑なメカニズムの開発が行われていました。
ヴィリアミーについて
1970年、ラ・ショー・ド・ファウンズ美術館のコレクションのカタログでベンジャミン・ルイ・ヴィラミーが作成したNo.470
まとめ
いかがでしたか?
1775年から1823年までは時計の歴史を200年早めたといわれるブレゲが生きていた時代。そんな時代にフェルディナンド・アドルフ・ランゲも生き、ブレゲの死後、ランゲはブレゲの時計を解剖して時計を学んでいたと思うと、歴史を感じますよね。
また、アドルフ・ランゲのスケッチのクオリティーの高さは素晴らしく、まるで狂いのない機械で書いたようにも見えます。
是非、店頭でA.ランゲ&ゾーネの歴史を体感してみませんか?
皆様のご来店をスタッフ一同お待ちいたしております。