皆様、こんにちは。谷です。
今年2022年は日本初の鉄道開業150年という記念の年。
新橋(のちの汐留)~横浜(現:桜木町駅)間で初の鉄道が開業したのは1872年10月14日。そして本日10月14日は「鉄道の日」と制定されています。
今日は日本に鉄道が開通しちょうど150年!鉄道ファンからすると本日は大変嬉しい1日ではないでしょうか?
さて、今回は日本での鉄道開業150周年になぞって、A.ランゲ&ゾーネと鉄道の話をしていきたいと思います♪
ヨーロッパの鉄道の発展と日本の鉄道の発達
A.ランゲ&ゾーネで鉄道と言えば、1815とサクソニアです。
せっかくなので、まずは世界と日本の鉄道の歴史から見ていきましょう!世界で初めて蒸気機関車が走ったのは『イギリス』でした。
それは1825年のことで、その時代のヨーロッパは産業革命の時代でした。
産業革命で起こった産業の革命と石炭利用によりエネルギー革命は、現代の私たちの生活に繋がっていきます。
一方1825年頃の日本は、江戸時代後期であり鎖国の真っただ中。しかし日本もヨーロッパを中心に起こった産業革命の波に飲み込まれていきます。
イギリスを中心にヨーロッパが発展していきます。
ドイツでは、1835年にアドラーという蒸気機関車が走りました。その後、1838年にはドイツでつくられた最初の蒸気機関車『サクソニア号』がドレスデンからライプツィヒまでの長距離を走りました。
1853年には、日本に蒸気機関車が走るきっかけとしてロシア人が鉄道模型を日本で走らせたのです。
その模型に感動した日本人:佐賀藩の田中久重(現在の東芝の前身の会社の創業者)は、日本初の蒸気機関車の模型を製作します。
そして翌1854年には、ペリーが大型の鉄道模型を持ち込み、こちらも国内で走行。そうして、時代が明治にかわり文明開化と謳われた1872年10月14日に国内で鉄道産業が開業となりました。
ドイツ鉄道とA.ランゲ&ゾーネの共通点
実はA.ランゲ&ゾーネとドイツ鉄道は切っても切り離すことが出来ないのです。
A.ランゲ&ゾーネのファミリーのうち1815ファミリーはその文字盤にもレールウェイがある様にドイツの歴史を表しています。
『1815』ファミリーは、A.ランゲ&ゾーネが1994年に発表した復興コレクションの1年後の1995年に発表されています。
1995年に発表されてから2度のマイナーチェンジを行っておりますが、人気モデルの1本として挙げられており、A.ランゲ&ゾーネの創業者フェルディナンド・アドルフ・ランゲが愛したブルースチール針とアラビアン数字が起用されています。
更に、文字盤のレールウェイは、ドイツが業革命時代、A.ランゲ&ゾーネのあるグラスヒュッテが属していたサクソニア州(現:ザクセン州)から初のドイツ製の蒸気機関車が発表されたことに由来しており、同じ州出の蒸気機関車がドイツの重工業を支えたことに対して敬意とドイツプロダクトへの愛を表現しています。
またサクソニアファミリーもその名前の通り『サクソニア州』でつくられたプロダクトであり、A.ランゲ&ゾーネの伝統的な手工業の美しさを示しています。
蒸気機関車に関しても、時計に関しても、サクソニアに住む人々はモノづくりに関して素晴らしい功績を残していきました。
1815の魅力とは?
1815といえば、最も印象的なのは『ブルースチール針』です。
他のモデルはそれぞれのケース素材と同じピンクゴールドまたはホワイトゴールドの針を用いていることが多いのですが、『1815』ファミリーでは、針のカラーベースがブルースチール針なのです。
そして、ブルースチール針には、『コーンフラワーブルー』と呼ばれる最高級のサファイアの色を示す名前がついてます。
とっても美しく、文字盤にパッとお花が咲いたような綺麗さを持っています。
また、天然光の元でみるのと、照明のもとで見るのとでは異なる雰囲気があるので、そのような点も楽しんで頂けます。
本当に何とも言えないブルースチール針が美しいです!!
高級時計をイメージする時、皆様はアラビアン数字を思い浮かべますか?
私の高級時計の印象は、全く相反するローマ数字でした。
ですので、『1815』を手に持った時は高級時計感がひしひし伝わり、ランゲの時計技術、ドイツプロダクトのデザイン性の凄さを体感しました。
アドルフ・ランゲがアラビアン数字を愛していた理由は『庶民の数字』といわれていたためです。
アラビアン数字はもともとインドで発明された数字でした。数字1つ1つのフォルムが違う事で認識がしやすく、誰が見ても数字がわかるように作られたのが始まりでした。
ヨーロッパにも伝わる事になったアラビアン数字ですがインドから船や様々な国の商人を通じて伝達され、アラブを超えるあたりで名前が『Arabic numerals (アラビアン数字)』と名付けられました。
アドルフ・ランゲがグラスヒュッテで時計工房を始めた理由は、『銀鉱山が閉鉱し、貧困に追い込まれた人々を助けるため』でした。私財を投げ、他の国から謁見の招待状が来ても、アドルフ・ランゲはグラスヒュッテから離れることなく、ひたすら時計の技術を教え続けました。そんな人格者な彼が愛した数字こそ、庶民のための数字と呼ばれるアラビアン数字でした。
再復興したA.ランゲ&ゾーネでは、アラビアン数字のストーリー、アドルフ・ランゲのストーリーから1815ファミリーの文字盤デザインはかなり時間をかけたといわれています。
実際に発表されたのは1995年。A.ランゲ&ゾーネが再復興して、5年後のことでした。
まとめ
いかがでしたか?
こうして新たな観点から時計を見ると大変面白いですよね!
船や飛行機、蒸気機関車など今で言う公共交通機関のが発展のために必要不可欠なものの1つが時計でした。
時計は様々な機構や性能がありますが、そのオケージョンごとに違っていてそれぞれ必要な機構が違い、それを開発する人がいると思うと更に時計が持つバックグラウンドがどうだったのか知りたくなってしまいますね!
是非、皆様も一度所有してるお時計のバックグラウンドを調べてみるのはいかがでしょうか?
違った魅力が見ることが出来て、更に愛着が湧きそうです!