皆様、こんにちは。谷です。
天気予報でも、ちらちらと台風の情報を聞くようになってきました。
今年は台風による大きな被害が出ない事を願っております。
さて、今回はそんな天気に関わりを持つ『リヒャルト・ランゲ』をご紹介します。
『リヒャルト・ランゲ』と呼ばれる腕時計が、『デッキウォッチ』と呼ばれる科学観測用の懐中時計がベースになっているのはご存じでしょうか?
今回は、リヒャルト・ランゲのベースとなった『デッキウォッチ』の誕生秘話と共にリヒャルト・ランゲの魅力をお伝えしていきます。
どうして『リヒャルト・ランゲ』は厚みのある時計なのか?
『リヒャルト・ランゲ』の時計が、大きい理由は『モデルになった懐中時計』が関係しています。
その懐中時計は、デッキウォッチ。いわゆる観測用の懐中時計として活躍していました。
当時は、パソコンなどのハイテク機器は無い時代。そのため、実験や観測の時間経過を測るには『懐中時計』しかなかったのです。時間を計測する中で重要視されたのが、懐中時計の精度とリューズを差し込んでから動くまでの時差でした。
機械式時計は、ゼンマイがほどける力で動いています。身近なものだと、オルゴールやチョロQなどが当てはまります。
これらのゼンマイ仕掛けのおもちゃは、最初は勢いよく動き、一定時間は安定し、最後には止まってしまいます。
機械式時計も同じです。
しかし、『リヒャルト・ランゲ』に関しては、元々がデッキウォッチからインスパイアを受けているため、安定している時間数しか動かないような仕組みとなっています。そのため、パーツ数が多くなり高さが10.5㎜、パワーリザーブは38時間となっているのです。
更に、『リヒャルト・ランゲ』はリューズを差し込んでから、秒針が動き出すまでの時差は他の時計よりも少ないのです。
モデルになった懐中時計を更に現代風に解釈し、精度を上げた『リヒャルト・ランゲ』の時計は、A.ランゲ&ゾーネの歴史を垣間見れる時計の1本です。
では、どんな方がデッキウォッチ時代に懐中時計を使用していたのでしょうか?
南極探検家
『エーリッヒ・ダゴベルト・フォン・ドリガルスキー』
まず最初に紹介するのは、南極探検家『エーリッヒ・ダゴベルト・フォン・ドリガルスキー』氏です。
彼は、ドイツの地理学者、地球科学者で、1901年から1903年に行われたガウス号によるドイツ南極観測隊を率いました。
彼が、南極探検家になるまでは、極地探検隊の隊長として1892年から1893年に西グリーンランドで越冬し、そこで研究していたことから、1898年に教授資格を取得、同年にはドイツ初の南極観測隊の隊長となる事となりました。
1901年の夏、ガウス号はキール(ドイツ北部)から出港し、一部の隊員をケルゲレン諸島(南インド海に浮かぶ南極地域の島々)に残し、本隊は更に南へと航海しました。ハード島と呼ばれるオーストラリアの西側から更に南西に4100KMに位置する島で、島の地質や植物相、動物相の科学調査を行っていました。しかし、ガウス号は14か月もの間、氷に閉じ込められました。
その後、ガウス号は1903年11月にキールに帰還し、ドリガルスキーは探索の成果をまとめ、1905年から1931年の間に12巻の記録と2巻の地図を出版しました。
そして、1910年のスピッツベルゲン島へのツェッペリン飛行船による探検飛行にも参加しました。
日本にもやってきた!?
探索飛行家『フェルディナンド・フォン・ツェッペリン』
さて、続いては『リヒャルト・ランゲ』といえば、飛行船ですよね!
ドイツで生み出された飛行船は『フェルディナンド・フォン・ツェッペリン』が第一人者と言っても過言ではありません。
彼は、『リヒャルト・ランゲ』がインスパイアを受けた懐中時計と共に飛行船で様々な場所を訪れました。
ツェッペリン伯爵は、ドイツの軍人であり、発明家・企業家でした。彼は、硬式飛行船を実用化した人物であり、『ツェッペリン』はいくつもの語源において『硬式飛行船』を意味する言葉となっています。
ツェッペリン伯爵は南北戦争中、タデウス・ロー教授の気球部隊を訪問し、気球に関して学びたいと伝えましたが、気球は関係者以外は乗れないと断れ、他の気球部隊を紹介されました。
その気球部隊で出会ったのが、ドイツ人飛行士J・シュナイナーでした。彼はシュナイナーから気球の取り扱いを少しばかり教えてもらいました。1869年、ツェッペリン青年は再び訪米し、ロー教授のもと気球の扱い方を教えてもらいました。
1880年以降、ツェッペリンは操縦可能な気球に夢中になり、1874年には大型飛行船の完全な図を書き上げており、当時のヴュテンベルグ王カール1世に対して、大型飛行船の軍事利用を勧める書状も出しています。
そうしているうちに1890年に軍隊の辞職に追い込まれた後、彼は硬式飛行船の開発に心血を注ぎました。そうして、1892年には航空技術者テオドール・コーバーを雇用し、設計の改善を進めていきました。
1895年8月、コーバーと共に構想した「複数の縦列に配置された牽引体を持つ操縦可能な航空列車」として特許を取得しました。
そして、『ツェッペリン飛行船』はでき、1935年にはA.ランゲ&ゾーネの時計が2個、フリードリッヒスハーフェンにあったツェッペリン飛行船工場に納入されています。航路決定や燃料の計算になくてはならない計器として積み込まれていたのです。
18世紀から19世紀にかけて活躍した懐中時計からインスパイアを受ける『リヒャルト・ランゲ』の特徴
探検家たちが愛した懐中時計からインスパイアを受けた『リヒャルト・ランゲ』。では、その時計はどんな特徴を持っているのでしょうか?
コンセプト
最高の精度を備えた、腕にも着用できる最初の高品質デッキウォッチ。
懐中時計の時代には実現することが出来なかった、腕時計型高品質デッキウォッチ。2006年に『リヒャルト・ランゲ』が発表されて実現することが出来ました。
デザイン
読み取りやすさの追求。
シンプルなローマ数字ですが、読みやすいように工夫されていることはご存じでしたか?
アラビアン数字とは違う歴史を持つ、ローマ数字は大変面白いお話があります。
詳しく知りたい方・気になる方は下記の写真をクリックして、記事を読んでみてくださいね!
機能
パワーリザーブは38時間に制限。
時、分、秒のセンターセコンド針。
『リヒャルト・ランゲ』のコンセプトは高品質のデッキウォッチ。
これを実現するために、リヒャルト・ランゲの時計は38時間しか動かないように制限しています。
ダトグラフに搭載してるクロノグラフの機構を抜き取り、トルクの精度を高め、よりパワーリザーブを安定させるために製作されています。
まとめ
いかがでしたか?
リヒャルト・ランゲの時計のモデルとなった懐中時計を愛した探検家や冒険家の方はどんな旅をされてきたのでしょうか?
彼らが持つ懐中時計は、時間に対して厳しくもある為、精度の高いA.ランゲ&ゾーネの懐中時計を連れて実験や冒険活動をされていた思うと、A.ランゲ&ゾーネの精度への追求も感じ取れます。
今度は、ファミリーごとに所有した歴史家などを比較するのもそれぞれのファミリーの特徴が見えてくるのかもしれません。
ぜひ、皆様もA.ランゲ&ゾーネブティック大阪心斎橋にお立ち寄りいただき、A.ランゲ&ゾーネの世界観をご堪能くださいませ。
皆様のご来店をお待ちいたしております。