皆様、こんにちは。谷です。
今年もスカイトラックス社の航空会社ランキングが出ましたね★6位には赤い鶴のロゴの日系航路会社が、4位にはヘリコプター2台からスタートしたブルーマークが目印の日系航空会社がランクイン。島国、日本を代表する2社が入るという結果となりました。1位は中東をベースに150か国を結んでいるアラビアオリックスがデザインされた航空会社!なんと3年連続の首位です!!
さて、今回は飛行機が誕生する少し前に生まれた航空機、飛行船とA.ランゲ&ゾーネについて語っていきます。
ドイツでもツェッペリン伯爵が発明したツェッペリン飛行船に人を乗せドイツ国内民間航路を生み出しました。
そのツェッペリン飛行船に使われた計器が当時のA.ランゲ&ゾーネの懐中時計でした。そんな懐中時計をベースに2006年新生A.ランゲ&ゾーネが発表したのがリヒャルト・ランゲです。
今回はリヒャルト・ランゲについてお話していきます。
日本にもやってきた!?探索飛行家『フェルディナンド・フォン・ツェッペリン』
ドイツで生み出された飛行船は『フェルディナンド・フォン・ツェッペリン』が第一人者と言っても過言ではありません。
彼は、『リヒャルト・ランゲ』がインスパイアを受けた懐中時計と共に飛行船で様々な場所を訪れました。
ツェッペリン伯爵は、ドイツの軍人であり、発明家・企業家でした。彼は、硬式飛行船を実用化した人物であり、『ツェッペリン』はいくつもの語源において『硬式飛行船』を意味する言葉となっています。
ツェッペリン伯爵は南北戦争中、タデウス・ロー教授の気球部隊を訪問し、気球に関して学びたいと伝えましたが、気球は関係者以外は乗れないと断れ、他の気球部隊を紹介されました。
その気球部隊で出会ったのが、ドイツ人飛行士J・シュナイナーでした。彼はシュナイナーから気球の取り扱いを少しばかり教えてもらいました。1869年、ツェッペリン青年は再び訪米し、ロー教授のもと気球の扱い方を教えてもらいました。
1880年以降、ツェッペリンは操縦可能な気球に夢中になり、1874年には大型飛行船の完全な図を書き上げており、当時のヴュテンベルグ王カール1世に対して、大型飛行船の軍事利用を勧める書状も出しています。
そうしているうちに1890年に軍隊の辞職に追い込まれた後、彼は硬式飛行船の開発に心血を注ぎました。そうして、1892年には航空技術者テオドール・コーバーを雇用し、設計の改善を進めていきました。
1895年8月、コーバーと共に構想した「複数の縦列に配置された牽引体を持つ操縦可能な航空列車」として特許を取得しました。
そして、『ツェッペリン飛行船』はでき、1935年にはA.ランゲ&ゾーネの時計が2個、フリードリッヒスハーフェンにあったツェッペリン飛行船工場に納入されています。航路決定や燃料の計算になくてはならない計器として積み込まれていたのです。
18世紀から19世紀にかけて活躍した懐中時計からインスパイアを受ける『リヒャルト・ランゲ』の特徴
探検家たちが愛した懐中時計からインスパイアを受けた『リヒャルト・ランゲ』。では、その時計はどんな特徴を持っているのでしょうか?
コンセプト
最高の精度を備えた、腕にも着用できる最初の高品質デッキウォッチ。
懐中時計の時代には実現することが出来なかった、腕時計型高品質デッキウォッチ。2006年に『リヒャルト・ランゲ』が発表されて実現することが出来ました。
デザイン
読み取りやすさの追求。
シンプルなローマ数字ですが、読みやすいように工夫されていることはご存じでしたか?
アラビアン数字とは違う歴史を持つ、ローマ数字は大変面白いお話があります。
詳しく知りたい方・気になる方は下記の写真をクリックして、記事を読んでみてくださいね!
機能
パワーリザーブは38時間に制限。
時、分、秒のセンターセコンド針。
『リヒャルト・ランゲ』のコンセプトは高品質のデッキウォッチ。
これを実現するために、リヒャルト・ランゲの時計は38時間しか動かないように制限しています。
ダトグラフに搭載してるクロノグラフの機構を抜き取り、トルクの精度を高め、よりパワーリザーブを安定させるために製作されています。
まとめ
いかがでしたか?
リヒャルト・ランゲの時計のモデルとなった懐中時計と飛行船のお話でした。
飛行時の時間や距離の計測時計は、時間に対してシビアである必要があります。現在も精度の高い時計としてしらっれいている『リヒャルト・ランゲ』は懐中時計時代から精度の高い時計として知られていたと思うとすごいですよね!
今度は、ファミリーごとに所有した歴史家などを比較するのもそれぞれのファミリーの特徴が見えてくるのかもしれません。
皆様も、ご自身が好きなA.ランゲ&ゾーネのシリーズ(ファミリー)を教えてくださいね!