皆様、こんにちは!友杉です。
オフィチーネ パネライ大阪心斎橋ブティックのブログをご覧いただき誠にありがとうございます!
本日は、パネライの歴史についての続きをご紹介いたします!
前回はラジオミールが誕生するまでを書きましたが、今回はパネライのその後の魅力的な歴代モデル等ご紹介致します。
※前回の記事はこちらをクリック
1938年~ 『ラジオミール製品化』
ラジオミールの納入が進む一方、さまざまな技術革新が進みます。
ジュゼッペ・パネライは、時計の機能を改善するために文字盤の構造を修正。上層に陽極酸化処理アルミニウムを用いてインデックスと数字を型抜きし、2重文字盤構造にしラジウム塗料がより明るくはっきりと見えるようにしました。文字盤の視認性を高めるためにレイアウトも変更され、アラビア数字は4つの要所のみで、アワーマーカーとして8つのインデックスが配置されました。
1943年 『幻のクロノグラフ』
イタリア海軍の甲板将校向けに開発された、パネライ初のクロノグラフ「マーレ ノストゥルム」が登場。
しかし、プロトタイプの開発までに終わり、製品化されることはありませんでした。
1949年 『ルミノールという名称の特許を取得』
パネライでは、様々な蛍光物質と発光物質を使用していたため、1949年1月11日、パネライが「ルミノール」という名称を使用するための特許を取得。
軍事的にも民事的にも、原子力技術が著しく進化したことによって新たな事実が判明し、ジュゼッペ・パネライは、放射性物質を含む素材の取扱いには注意が必要であることに気付きました。
ルミノールにはトリチウム(水素アイソトープ)を原料とする新しい発光物質のことを言います。名前の由来でもあります。1956年 『エジツィアーノの誕生』
エジプト海軍特殊部隊用の超大型モデルを納入。
「エジツィアーノ」とはイタリア語で“エジプト人”を意味します。
ケースは、従来よりも大型の60㎜!8日巻きムーブメントを搭載。
パネライ ウォッチの構造で今なお最大の特色となっている要素、リュウズプロテクターが初めて採用されたのもこのモデルでした。
G. パネライ&フィグリオ社が、このリュウズプロテクターの国際特許を取得しました。
現行の「サブマーシブル」につながる5分毎の立体マーカーを備えた回転ベゼルも特徴です。
1960年代 『ルミノールの進化』
二重構造の文字盤を組み立てる工程で、ラジウムを原料とする塗料の使用が廃止され、「ラジオミール」という名称も使われなくなりました。その代わりに夜光塗料として採用されたのが、放射性物質の含有量が少ないトリチウムを原料とする新素材「ルミノール」です。
イタリア海軍の要請によって製造・供給された精密機器に関する分野でも、この時期に特に大きな進歩がありました。
1972年『G. パネライ&フィグリオ社にとっての変化の年』
社名が「G. パネライ&フィグリオ(G. Panerai & Figlio)」から「オフィチーネ パネライ(Officine Panerai S.r.l.)」 に変更され、すでに多数の製品や腕時計に表示されていた「オフィチーネ パネライ(OFFICINE PANERAI)」が正式なブランド名となりました。
「OFFICINE(オフィチーネ )」とは、イタリア語で“工房”を意味します。
いかがでしたでしょうか?本日はここまでとし、次回はパネライが世界的有名なブランドになるまでをご紹介いたします!
是非、ラグジュアリー・ライフスタイルホテル『W大阪』1階、オフィチーネ パネライ大阪心斎橋ブティックにパネライの世界観を体感しにいらしてください。皆様のご来店を心よりお待ちしております。
店舗における感染防止対策
オフィチーネ パネライ大阪心斎橋ブティックでは、お客様ならびに従業員の健康と安全に配慮し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、下記のとおり対応しております。
https://www.jw-oomiya.co.jp/contents/covid-19/
オオミヤはお客様ならびに従業員の健康と安全を最優先に考え、感染症の拡大防止に努めてまいります。お客様のご理解、ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。