こんにちは!友杉です。
オフィチーネ パネライ大阪心斎橋ブティックのブログをご覧いただき誠にありがとうございます。
本日は、お時計ではなく、、、パネライの歴史についてご紹介いたします!
皆様は、パネライといえばどのようなことが思い浮かびますか?
イタリア海軍の軍事用時計、ダイバーズウォッチ、ラジオミールやルミノール、、、などご存じの方もいらっしゃればあまり知られていないパネライの歴史を数回に分けてブログを書いていきたいと思います!!
1860年 『時計店を開業』
ジョヴァンニ・パネライがイタリア、フィレンツェのポンテ・アッレ・グラツィエ橋の上に時計店を開業。
ジョヴァンニの時計店の他に肉屋、理髪店、八百屋、焼き栗屋などが営まれていたそうです。
フィレンツェで初めての時計店で、最も古い歴史を持ち、格式を誇るスイスの一流時計メーカーとの関係もこの店を通じて始まりました。
輸入時計の販売や修理だけでなく修理用部品や付属品、精密機器を扱うための工具類を保管する大きな倉庫も所有していました。
また、フィレンツェ初の時計学校を兼ねるようになります。
当時、スイスから部品の状態でイタリアに送られてくるので時計を組み立てなければなりませんでした。
また、組み立てるための大きな工房を建設する必要があったのでパネライの工房で製造された時計はトスカーナー地方全域に広がる数多くある時計店に供給されていました。
パネライの歴史はここから始まったのです。
この店舗は、1876年からフィレンツェ市内の様々な場所に移転した後、グラツィエ橋 の再建工事のため、1920年代に現在の所在地に移動。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前にあるアルチヴェスコヴィレ宮に店舗を構え、「OROLOGERIA SVIZZERA(オロロジェリア・スヴィッツェラ)」という屋号を掲げました。
1916年 『ラジオミールを開発』
ジョヴァンニ・パネライの孫であるグイド・パネライは長年にわたり、イタリア海軍に海戦用照準器などの精密機器を納品していました。
この年にラジウムを使用した粉末を開発し、計器や照準器のダイヤルに塗布して視認性を高めました。こうして、ラジオミールが誕生。
「ラジオミール」という名称の製品は、1916年3月23日に特許取得しました。パネライはその歴史の中で、革新的な技術により数々の特許を取得していますが、その第一号がこのラジオミールでした。
銃の照準器や魚雷発射用の機械式計算機などに用いられたラジオミールは、完全な闇の中でも明るく視認性に大変優れていました。
強力な発光は昼光でも見えるほどだったそうです。
また、水中用のコンパスに使用したところ、4~5メートルの深さに潜っていても水面から発見できてしまうため任務に支障をきたした、という記録も残されています。
1935年 『腕時計のプロトタイプが開発』
イタリア海軍の特殊部隊用にと要請を受けた腕時計のプロトタイプが開発されます。
イタリア海軍が求める基準を満たすため、高い強度を持つ潜水用時計がいくつもテストされました。
1936年 『ラジオミール第一号誕生』
グイド・パネライの息子ジュゼッペ・パネライが適切に製造された数点の試作品を作動させ、技術的なテストを実施。
直径47㎜のクッションケース、ねじ込み式裏蓋、優れた暗闇での視認性を備え「あらゆる点で卓越した機能を発揮」と高い評価を獲得し、採用が決定しました。
いかがでしたか?本日はここまでとし、次回はパネライの初めての腕時計ラジオミールのその後をご紹介いたします!
是非、ラグジュアリー・ライフスタイルホテル『W大阪』1階、オフィチーネ パネライ大阪心斎橋ブティックにパネライの世界観を体感しにいらしてください。皆様のご来店を心よりお待ちしております。
店舗における感染防止対策
オフィチーネ パネライ大阪心斎橋ブティックでは、お客様ならびに従業員の健康と安全に配慮し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、下記のとおり対応しております。
https://www.jw-oomiya.co.jp/contents/covid-19/
オオミヤはお客様ならびに従業員の健康と安全を最優先に考え、感染症の拡大防止に努めてまいります。お客様のご理解、ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。