
皆様、こんにちは。谷です。
ほんとに梅雨が明けるとムシムシした暑さが続きますね!
8月並みの暑さが続く、6月末。明日から7月ですが、より本格的に暑くなるんでしょうか!?
皆様、熱中症に気をつけておすごしくださいませ!!
さて、今回はA.ランゲ&ゾーネが復興するにあたり活躍した立役者『ギュンター・ブリュームライン』氏についてお話ししていきます。
彼は、A.ランゲ&ゾーネにとって欠かせない人物でした。では、一体どんな人だったのでしょうか?
スイス時計産業のエキスパートの1人はドイツ生まれ!?

1943年3月、ギュンター・ブリュームラインはドイツ・ニュルンベルクに生まれました。
彼が生まれたニュルンベルクは南ドイツ寄りに位置し、のグラスヒュッテのあるザクセン州とその他の3つの州の境界です。第2次世界大戦の際は東ドイツ側に位置し空爆をうけ甚大な被害を受けました。
そのような時代背景がある中、ギュンター・ブリュームラインは生まれ、成長していきました。
エンジニアになった彼は、1980年ドイツの計器メーカーVDOがIWCとジャガー・ルクルトを買収した後、コンサルタントに就任。
そして、IWCでは「ポルシエデザイン」「ダ・ヴィンチ」などを発表し、ジャガー・ルクルトでは「レベルソ」に注力し経営状態を大きく改善していきます。1990年にはウォルター・ランゲと共同でA.ランゲ&ゾーネを復興。
1991年には3社を運営するLMHの会長となり、2000年まで務めました。
2001年1月、リシュモン時計部門最高経営責任者に就任しましたが、同10月急逝。「率直で長期的な視点」に基づいた経営を旨とし、魅力的な機構と控えめな価格、そして徹底したコスト削減で、傘下の時計メーカーだけでなく、時計業界全体に影響を与えました。
テーマを絞って進み続けたギュンター・ブリュームライン
ギュンター・ブリュームラインはA.ランゲ&ゾーネを復興するまでは、IWCとジャガー・ルクルトを担当していました。
この時代の彼は、徹底してテーマを絞って、物事を進めていました。
彼は『選択と集中』を行っていったのです。
IWCではムーブメントからアイコンモデルを作り出し、ジャガー・ルクルトではデザインからアイコンモデルを製作するといったブランドカラーが強いアイコンをそれぞれのブランドが持つことに力を入れたのです。
これは、今のA.ランゲ&ゾーネにも見られる特徴の1つであり、ランゲと言えばランゲ1と代名詞的な存在を1994年に製作しています。
テレビを見てA.ランゲ&ゾーネの復興を決めた!?
IWCとジャガー・ルクルトを軌道に乗せた、ギュンター・ブリュームラインは次のチャレンジをどこでするのか考えていました。
そんな時、IWCの営業責任者:ハネス・パントリと一緒にテレビを見ていました。
ハネス・パントリはブリュームラインと共にテレビを見ていた時の事を次の様に語っています。
「ベルリンの壁が崩壊する様子を、ブリュームラインと一緒にテレビで見ていました。これでA.ランゲ&ゾーネが復興するぞ、彼(ブリュームライン)はそう語ってましたね」。
そして、東西ドイツが統一直後、ギュンター・ブリュームラインはA.ランゲ&ゾーネの商標を取得。生産設備を整え、いきなり高級時計の生産を始めていきました。1994年の出来事でした。
歴史的な価値では勝負をしないと決めたギュンター・ブリュームラインが取った行動とは?

彼は、IWCとジャガー・ルクルトでの経験から、A.ランゲ&ゾーネの歴史的観点の魅力だけで勝負をすると絞るのではなく、時計そのものの魅力を高めることにフォーカスしました。
自社製ムーブメントをひとつ作るためのコストは、最低でも200万スイスフラン、高いものでは500万スイスフランといわれています。
ブリュームラインはそうやって作り出したベースのムーブメントに小改良を加えることで、毎年のように新しい自社製ムーブメントを生み出しました。
1994年から数えると、A.ランゲ&ゾーネの時計のムーブメントは60個以上。1つのモデルにつき、1つのムーブメントを作る事を行いました。
新しいムーブメントを次々と送り出したのは、ブリュームライン率いるA.ランゲ&ゾーネが初めてだったのです。
何もないところから再出発する事の楽しみ

ギュンター・ブリュームラインが時計業界において真のエキスパートとして評価されている点は様々ありますが、最も有名なのは、『A.ランゲ&ゾーネ』の復興です。
A.ランゲ&ゾーネは第二次世界大戦後40年以上もの長い間休眠していました。
そこで、ブリュームラインはウォルター・ランゲとともに企業、製品、マーケティングの統合的なコンセプトを作り上げ、A.ランゲ&ゾーネの名を、戦前と同じように、高級時計の最高峰へと返り咲かせたのです。
ブリュームラインのリーダーシップの下で生み出された革新的なデザインや発明されたメカニズムは、現在も影響を与え続けています。A.ランゲ&ゾーネで開発されたランゲ1のダイヤルの斬新なオフセンターデザインや、一般モデルとしては初のアウトサイズデイト、そしてダトグラフに搭載された初めての自社製クロノグラフキャリバーは、その好例です。
まとめ
いかがでしたか?
A.ランゲ&ゾーネの復興には欠かせない人物の一人。『ギュンター・ブリュームライン』
ブリュームラインは2001年10月に亡くなってしまいましたが、彼のビジョンと熱意は、彼の死後も受け継がれています。そして、その高精度を追求する姿勢、フォルムと品質へのこだわり、全体を見る目やわずかな違いが生み出す価値を感じ取るセンスは、今でもA.ランゲ&ゾーネの時計の1本1本に反映されていますね。
A.ランゲ&ゾーネが復興するまではちょっとしたストーリーがあります。そのうちの1つである『ギュンター・ブリュームライン』について少しは知っていただけましたでしょうか?
是非、他のブログもご覧ください。
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