皆様、こんにちは。谷です。
昨日の関東の梅雨明けから、1日経った今日。ここ大阪でも梅雨明け宣言がありましたね。
観測史上最短での梅雨明けだそうです。本格的に暑くなってきますので、皆様熱中症に気を付けて過ごしましょう!!
さて、今回はA.ランゲ&ゾーネのブランドについて簡単に解説していきたいと思います。
A.ランゲ&ゾーネって何?どんなブランド?
A.ランゲ&ゾーネは、1845年にフェルディナンド・アドルフ・ランゲが設立したブランドです。
ドイツの中でも、東側に位置するザクセン王国(現:ザクセン州)にあるグラスヒュッテと呼ばれるチェコとの国境付近で始まりました。
時計をつくりにあたり、きれいな水、澄んだ空気、大きなガラス窓から射す光が必要であったため地方に時計の工房を持つ必要がありました。
また、アドルフ・ランゲは人格者であったため、鉱山が閉山し、仕事を失ってしまった人々を助けるためにグラスヒュッテでA.ランゲ・ドレスデンという名の時計工房を開きました。
そうして、100年ほどは貴族や王族、献上品としての質の高い懐中時計づくりを行いグラスヒュッテ一帯を時計産業で盛り上げました。
~A.ランゲ&ゾーネの基本情報~
創業 :1845年
創業者 :フェルディナンド・アドルフ・ランゲ
場所 :ドイツ、ザクセン州、グラスヒュッテ
場所の理由 :①時計製造にはきれいな水、澄んだ空気、光が必要だったから。
②アドルフ・ランゲが人々を助けるため
工房名 :A.ランゲ・ドレスデン
燃えて消えてしまったブランド、A.ランゲ&ゾーネ。空白の40年とは?
創業してから、1867年にはアドルフ・ランゲの長男:リヒャルト・ランゲが参加。
1868年には次男:エミールランゲも参加し、会社名をA.ランゲ&ゾーネ・ドレスデンに変更しました。
代々ランゲ一族が受け継ぎ、時代のニーズをくみ取り発展したA.ランゲ&ゾーネ。
しかし、次第に戦争に巻き込まれていきます。
第2次世界大戦が勃発し、軍需工場となったA.ランゲ&ゾーネの工房は軍用時計を生産する事となります。
1945年には、ソビエト軍の空襲により工場は焼失。
更に、創業し100年を過ぎた1948年、時代の影が落ちます。東西冷戦です。
東ドイツ側にあったグラスヒュッテは、一帯の時計工房が国営化されてしまいます。
そのため、のちの4代目ウォルター・ランゲは西ドイツに脱出をします。同時にA.ランゲ&ゾーネのブランドは休眠へ。
~ブランドができてからの出来事~
1845~ :アドルフ・ランゲが工房を開く(工房名:A.ランゲ・ドレスデン)
1867~ :長男リヒャルト・ランゲが参加
1868~ :次男エミール・ランゲも参加。工房名をA.ランゲ&ゾーネ・ドレスデンへ変更
~1920前半:最盛期を迎える
1945 :工房が焼失
1948 :グラスヒュッテの時計工房の国営化。ウォルター・ランゲ西ドイツに亡命。ブランドは休眠。
40年の時を経て復活したA.ランゲ&ゾーネ。すさまじい復興までの道のりとは?
待ち続けること40年。1989年にベルリンの壁が崩壊し、一気に風向きが変化しました。
1990年、西ドイツにいたウォルター・ランゲは故郷の東ドイツに戻り、会社を再興。
1994年には復興4大コレクションとして『ランゲ1』『サクソニア』『アーケード』『トゥールビヨン・プール・ル・メリット』を発表し、復興を強烈に印象付けました。
以後、A.ランゲ&ゾーネは1999年にダトグラフを発表。当時としては珍しいロービートの自社製クロノグラフを製作し再び話題になります。
~復興までの道のり~
1989 :ベルリンの壁崩壊
1990 :ウォルター・ランゲがA.ランゲ&ゾーネを復興
1994 :復興4大コレクションを発表し、世界中に衝撃を与える
まとめ
いかがでしたか?
現在も伝統的な手法を用いて製作されるA.ランゲ&ゾーネの時計たちは文字盤だけでなく、裏側も非常に魅力的な1本です。
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また裏から透けて見えるムーブメントの楽しみ方を知りたいという方は下の記事をクリックいただき、是非A.ランゲ&ゾーネのムーブメントをたのしんでくださいね!