皆様、こんにちは。谷です。
年始明け1週目のお仕事お疲れ様でした。皆様はすでに日々のルーティンに戻られたでしょうか?
まだの方は、来週に向けて以前のルーティンに戻していきましょう!お勧めは夕方の体温が上がる頃にウォーキングなど軽い運動をすることです。午後4時30分ごろに運動すると22時には心地よく眠りにつけますよ。
ぜひ試してみてくださいね♪
さて、今回はスイスに次ぐ機械式時計の産業が栄えているドイツの時計産業についてお伝えしていきます。
古くからさまざまな部族が土地をかけて戦った歴史のあるヨーロッパ。統一の機運が高まる以前のドイツは多くの諸侯に分かれ、人々は自らが属する領邦国家(りょうほうこっか:中世 ヨーロッパ に成立した 君主 を中心とする半自立で支配していた地域)の住人という認識しかありませんでした。幕藩体制時代の日本と似たものを感じますね。
またドイツは「三十年戦争」「ナポレオン戦争」「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」と、戦争によって何度も国土が荒廃し、そのたびに立ちあがってきた不屈さがあります。
そんな歴史を持つドイツが作る時計とはどのような時計なのでしょうか?
実は、ドイツの時計メーカーはドイツ国内二つの地域に分かれて存在しています。
1つがチェコに近いエルツ山脈にあるグラスヒュッテ。
もう一つはスイスに近いシュヴァルツヴァルト地方。
時計製作の歴史の古さでいえば、旧西ドイツのシュヴァルツヴァルト地方。
ライン川上流にあるこの地域は、黒い森と呼ばれる名前の通り、一帯を森で覆われています。この地域に自生する木を使ってシュヴァルツヴァルトの地方の人々は木製のクロック時計を製作していました。鳩時計は中でも有名です。鳩時計の最初といわれる時計ができたのは1640年ごろ。特徴は伝統的に葉のついた物や山小屋型のデザイン、ふりこには葉の形をしたバランスが付いており、その上下によって振幅の速度を調整します。時計の文字盤はローマ数字があります。
その長い歴史を表すように、1852年にはおそらく世界で初の時計博物館が設立されています。
対してクロックではなく、ウォッチの製作で成功を収めたのが、グラスヒュッテ。始まりは1843年6月25日、ランゲはザクセン政府に対して、時計メーカー設立に関する要望書を送っていることです。
「エルツ山脈(グラスヒュッテのことである)の貧困に苦しむ住民たちに雇用の機会を与えるべく、新しい会社を興すという私の考えを開陳したく存じますという書き出しで始まる自筆の要望書は、ランゲがどういう狙いで時計メーカーを作りたかったのかを明らかにしています。
最初はザクセン政府の反応はよくありませんでしたが、何度も嘆願書を送った結果、1845年5月21日、ザクセン政府はアドルフ・A・ランゲ&ゾーネと契約を結びました。曰く「政府は6700ターラーをアドルフ・ランゲに払い、彼は15人の若者を雇用して時計を製造する」
時計産業が盛んになる前のグラスヒュッテでは銀鉱山の採掘で潤っていました。しかし銀が枯渇し、グラスヒュッテにとって暗い時代の始まりとなりました。
銀鉱山が栄た時代、鉱山を掘り進めることはもちろん、掘るための道具となる工具を作る事も行っていました。しかし、銀を取る事が出来なくなっていきます。
アドルフ・ランゲは村の人たちは手先が器用で、工具づくりの方法を応用し、ウォッチを製作する事に問題はないと考え、政府に嘆願書を送り続け、ついに工房を開くことができました。
また立地的にもドイツ東部の文化の中心でもあった大都市ドレスデンから近い位置にありました。このように歴史的・地理的条件からも非常に恵まれており、グラスヒュッテのウォッチ産業は栄えていきました。
こうしてフェルディナンド・アドルフ・ランゲはグラスヒュッテにウォッチ文化をもたらし、現在もA.ランゲ&ゾーネはグラスヒュッテで時計を製作しています。
いかがでしたでしょうか?
スイスに次ぐ機械式時計の産地、ドイツ。シュヴァルツヴァルト地方の鳩時計の発展では、ドイツ人の几帳面な精神が見られ、グラスヒュッテではドイツ人の不屈の精神を感じますね!
是非、店頭でランゲの時計を手に取っていただき、ドイツ時計の魅力を感じるのはいかがでしょうか?
A.ランゲ&ゾーネ(A.Lange & Sohne)
モデル名:リヒャルト・ランゲ
品番: LS2324AD 232.032
ケース径:40.5mm
防水:3気圧防水
ケース素材:K18ピンクゴールド